針と糸
いさぎよく過去形で書きますが
私はこう見えて手芸女子でした。
小学生の頃のクラブ活動は
ダンス部と手芸部で、
中学高校時代は
マスコットを作ったり
カバンや財布を作ったり、
子ども達が幼い頃は
おそろいの甚平を作ったり、
幼稚園バッグや上靴入れも
お手のものでした。
(過去形にすればなんでも
ちょっとよさげに書けますね)
お部屋のファブリックを
ラブリーにしてみたり
カーテンを作ったり、、
それはそれは
まるでひーこセンセイのようでした。
リボンや布やレースは
ロールで買って
家に手芸コーナーもありました。
それらを使ってラブリーな飾りのようなものを
家事の合間にせっせと作って

クッションカバーや、ソファーカバーなんかを
作っていたものです。
今はこの本棚の目隠しカーテンしか
茶の間という名のリビングには残っていません。
証拠写真です。

今、この時に買った
パールやリボンやレースは
子ども達のお誕生日会の冠などの飾りとして
大喜びで命を吹き返しています。
めでたし、めでたし。
無駄なことは何もなかった・・・・・。
今思えば幼い頃、私の家庭では
祖母が縫い物を
母が編み物をよくしていました。
見よう見まねでなんとなくやってるうちに
一瞬←ココ重要
面白くなったのでしょう。
なんでも作ってくれて
なんでもやらせてくれた母と祖母に
感謝しています。
私自身が幼い頃から
針や糸、編み棒を手にしていたので
にじのとりっ子も
3歳児さんになったら
縫い物を
カリキュラムの中にと考えていました。
そしてようやく迎えた今年です。
雑巾ぐらいが
縫えればいいかなと思っていましたが
今年の3歳児さんは
なんと!
クリスマスツリーのオーナメントで
針と糸デビューを果たしましたよ。

一番上のがひーこセンセイの。
それを見ながら作ったのが
それぞれの子ども達のです。
目が細かい!
いい仕事します♪
卒園するまでに
カバンとかお洋服が作れたりなんかして♪

作ったのは、なんとひとつだけではありませんよ!

そうそう、デビューと言えばコメットさん。
実は今日、
みんなと同じ普通のごはんを
もぐもぐして食べることができたんです!
別の場所にいた私のところへ
きえセンセイが
『てーへんだ!てーへんだ!』の勢いでやってきて
『コメットさんがもぐもぐして
コレ食べてますっっっ!!!!!』と
教えてくれました。

傍目にはきっとなんでもないことかもしれません。
機能的にはできることなので
別段、冷静に考えると
それを成し遂げた子どもを
大げさに褒める必要はないのかもしれませんし
褒めたりしなくてもいい種類のものかもしれません。
でも、個人差もあって
ママも悩みながら子育てをしている中
日中、ママがいない時に
子どもがその地点に到達したことを
自分のことのように
こんなに喜んでくれる人が
そばにいるというのは
なんとも嬉しいことではありませんか。
コメットさんの肌から目から耳から
ココロの深いところに
自分がごはんを食べたこと
ひとつステップを上に上がったことで
掛けられた愛がダイレクトに
じゅ~~んと沁みこんでいるのがわかります。
それは本当に嬉しいことです。
人はみんな
知らないうちに貯まる愛の貯金で育まれ
溢れた愛で今度は別の誰かを
知らず知らずの内に育むのですね。
子どものうちは
優しくされたり
笑顔を向けられたり
ママの時間を占領しても受け止めてもらえることで
愛情を受け取りますが
成長と共にそれは形を変えますから
口に苦いものや
耳に痛いことを感じることがあったら
まさにそこには愛があるのだと
私達大人は感じなくてはいけませんね。
子ども達の未来の鍵を握っているのは
まさに
『今』の私達のありようだけではないでしょうか。
自分がどう育ったか
どんなこと言われたか、されたのかなんて
過去に生きるのはやめにして
今日の、今目の前にある『今』を
やり切りましょう♪♪♪
子ども達の『今』はいつでも
さっきとは全然違います。
最後の写真は
今日の<寝ない子誰だ>
寝ませんよ
寝ろと言うなら いつまでも
~スカッシュ心の川柳~

園長(先日行ったお試しエステが効いてます。通いませんが。)
私はこう見えて手芸女子でした。
小学生の頃のクラブ活動は
ダンス部と手芸部で、
中学高校時代は
マスコットを作ったり
カバンや財布を作ったり、
子ども達が幼い頃は
おそろいの甚平を作ったり、
幼稚園バッグや上靴入れも
お手のものでした。
(過去形にすればなんでも
ちょっとよさげに書けますね)
お部屋のファブリックを
ラブリーにしてみたり
カーテンを作ったり、、
それはそれは
まるでひーこセンセイのようでした。
リボンや布やレースは
ロールで買って
家に手芸コーナーもありました。
それらを使ってラブリーな飾りのようなものを
家事の合間にせっせと作って

クッションカバーや、ソファーカバーなんかを
作っていたものです。
今はこの本棚の目隠しカーテンしか
茶の間という名のリビングには残っていません。
証拠写真です。

今、この時に買った
パールやリボンやレースは
子ども達のお誕生日会の冠などの飾りとして
大喜びで命を吹き返しています。
めでたし、めでたし。
無駄なことは何もなかった・・・・・。
今思えば幼い頃、私の家庭では
祖母が縫い物を
母が編み物をよくしていました。
見よう見まねでなんとなくやってるうちに
一瞬←ココ重要
面白くなったのでしょう。
なんでも作ってくれて
なんでもやらせてくれた母と祖母に
感謝しています。
私自身が幼い頃から
針や糸、編み棒を手にしていたので
にじのとりっ子も
3歳児さんになったら
縫い物を
カリキュラムの中にと考えていました。
そしてようやく迎えた今年です。
雑巾ぐらいが
縫えればいいかなと思っていましたが
今年の3歳児さんは
なんと!
クリスマスツリーのオーナメントで
針と糸デビューを果たしましたよ。

一番上のがひーこセンセイの。
それを見ながら作ったのが
それぞれの子ども達のです。
目が細かい!
いい仕事します♪
卒園するまでに
カバンとかお洋服が作れたりなんかして♪

作ったのは、なんとひとつだけではありませんよ!

そうそう、デビューと言えばコメットさん。
実は今日、
みんなと同じ普通のごはんを
もぐもぐして食べることができたんです!
別の場所にいた私のところへ
きえセンセイが
『てーへんだ!てーへんだ!』の勢いでやってきて
『コメットさんがもぐもぐして
コレ食べてますっっっ!!!!!』と
教えてくれました。

傍目にはきっとなんでもないことかもしれません。
機能的にはできることなので
別段、冷静に考えると
それを成し遂げた子どもを
大げさに褒める必要はないのかもしれませんし
褒めたりしなくてもいい種類のものかもしれません。
でも、個人差もあって
ママも悩みながら子育てをしている中
日中、ママがいない時に
子どもがその地点に到達したことを
自分のことのように
こんなに喜んでくれる人が
そばにいるというのは
なんとも嬉しいことではありませんか。
コメットさんの肌から目から耳から
ココロの深いところに
自分がごはんを食べたこと
ひとつステップを上に上がったことで
掛けられた愛がダイレクトに
じゅ~~んと沁みこんでいるのがわかります。
それは本当に嬉しいことです。
人はみんな
知らないうちに貯まる愛の貯金で育まれ
溢れた愛で今度は別の誰かを
知らず知らずの内に育むのですね。
子どものうちは
優しくされたり
笑顔を向けられたり
ママの時間を占領しても受け止めてもらえることで
愛情を受け取りますが
成長と共にそれは形を変えますから
口に苦いものや
耳に痛いことを感じることがあったら
まさにそこには愛があるのだと
私達大人は感じなくてはいけませんね。
子ども達の未来の鍵を握っているのは
まさに
『今』の私達のありようだけではないでしょうか。
自分がどう育ったか
どんなこと言われたか、されたのかなんて
過去に生きるのはやめにして
今日の、今目の前にある『今』を
やり切りましょう♪♪♪
子ども達の『今』はいつでも
さっきとは全然違います。
最後の写真は
今日の<寝ない子誰だ>
寝ませんよ
寝ろと言うなら いつまでも
~スカッシュ心の川柳~

園長(先日行ったお試しエステが効いてます。通いませんが。)
スポンサーサイト