3月5日、泣いていい
今はもう昔の月曜日は大雨でしたので
お部屋の中で
新しいお散歩カーを使って
タクシーごっこをしようと
朝から企んでいたら
かなセンセイも同じことを考えていて
さて、
いつから始めようかと待っていました。
子ども達は
新しいおもちゃには
敏感に反応するのに
新しいお散歩カーは大きすぎるのか
家具化してしまって
誰も無反応です。
一人を乗せて
お部屋の中を走り
タクシーになって一人ずつ乗せてみると
泣いていた子は泣きやむし
泣いていなかった子が泣き出すし で
初めてずくしの子ども達には
刺激がキツかったかもしれませんが
こうして
<はじめて>のことに慣れていきます。
<はじめてで不安>ということよりも
<信頼できる人と一緒なら大丈夫>
という思いが
急にではなく
日々少しずつ育ってくるのです。
連絡ノートにも
毎日の園での生活のことを書いていますが
そこにも
<泣いている>とか
<泣いてしまいました>いうワードがよく出てくると思います。
お母様方、どうぞそのワードに心を痛めないでください。
今の時期
初めてのことに出会ったら
泣いて当たり前です。
緊張して当たり前です。
誰かがお母さんと一緒に帰るシーンを見たら
ママが迎えに来た時泣いちゃうのも当然です。
いつもよりママのお迎えの時間が遅いと
外に出たがるのも当然のことです。
見て、感じるから泣くのです。
それは
ものすごく
賢いことだと思います。
究極の命を守る自営本能だとも思います。
<泣き>の世界からの脱却は
その子それぞれですが
大したもので
前日と比べて進歩していない子はいないのですよ。
だからどうぞ
安心して
泣いているわが子に
『いってきまーす♪』と
元気にお声かけをしてあげてください。
私が若い頃
認可園で働いていた時に
連絡ノートに
『泣いています』と書いて
主任に書き直しを命じられたことがあります。
理由は
『お母さんが心配するから』ということでした。
連絡ノートには
いいことばかりを書くように言われて
『なんで?』と思いながら従っていたあの日を思い出します。
確かに当時の私の表現力や年齢では
説得力なかったかもしれませんが
伝えたかったのは
今と同じことです。
過去のことは
時期尚早だったということにしておいて
今、改めて同じことを伝えます。
泣いていい んです。
園長
お部屋の中で
新しいお散歩カーを使って
タクシーごっこをしようと
朝から企んでいたら
かなセンセイも同じことを考えていて
さて、
いつから始めようかと待っていました。
子ども達は
新しいおもちゃには
敏感に反応するのに
新しいお散歩カーは大きすぎるのか
家具化してしまって
誰も無反応です。
一人を乗せて
お部屋の中を走り
タクシーになって一人ずつ乗せてみると
泣いていた子は泣きやむし
泣いていなかった子が泣き出すし で
初めてずくしの子ども達には
刺激がキツかったかもしれませんが
こうして
<はじめて>のことに慣れていきます。
<はじめてで不安>ということよりも
<信頼できる人と一緒なら大丈夫>
という思いが
急にではなく
日々少しずつ育ってくるのです。
連絡ノートにも
毎日の園での生活のことを書いていますが
そこにも
<泣いている>とか
<泣いてしまいました>いうワードがよく出てくると思います。
お母様方、どうぞそのワードに心を痛めないでください。
今の時期
初めてのことに出会ったら
泣いて当たり前です。
緊張して当たり前です。
誰かがお母さんと一緒に帰るシーンを見たら
ママが迎えに来た時泣いちゃうのも当然です。
いつもよりママのお迎えの時間が遅いと
外に出たがるのも当然のことです。
見て、感じるから泣くのです。
それは
ものすごく
賢いことだと思います。
究極の命を守る自営本能だとも思います。
<泣き>の世界からの脱却は
その子それぞれですが
大したもので
前日と比べて進歩していない子はいないのですよ。
だからどうぞ
安心して
泣いているわが子に
『いってきまーす♪』と
元気にお声かけをしてあげてください。
私が若い頃
認可園で働いていた時に
連絡ノートに
『泣いています』と書いて
主任に書き直しを命じられたことがあります。
理由は
『お母さんが心配するから』ということでした。
連絡ノートには
いいことばかりを書くように言われて
『なんで?』と思いながら従っていたあの日を思い出します。
確かに当時の私の表現力や年齢では
説得力なかったかもしれませんが
伝えたかったのは
今と同じことです。
過去のことは
時期尚早だったということにしておいて
今、改めて同じことを伝えます。
泣いていい んです。
園長
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